12年前の自分に

ふと、昔書いていたコラム(当時はブログという言葉もよく知らなくて、コラムと呼んでいた)を思い出したので、読んでみた。
12年前…当時36歳の自分。今と同じ、桜の季節…
これだけ時間を経ると、自分で書いていながら「あんた、誰?」状態(笑)

12年前の自分に言ってやりたい

「心配すんな、お前。12年後は、楽しく桜見てるぞ!しかも自由に音楽やって、毎日楽しく過ごしてるぞ!」

「お前はな…けど日本はどうだろう…お前が心配してたように、なってるような感じは…否めない…」

「なあ、お前…教えてくれ。俺はこのままで、いいのかな?…」

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2004年4月1日(木)『桜』

昔、桜の季節にうきうきしていたとき、「自分は桜が嫌い」という人に会ったことがある。その時はその感覚が全くもって理解できなかったが、今の私がそうだ。正確には嫌いなわけではない。毎年見ないと気が済まないし、元来、年中行事は好きな方だ。ただ、見るのが怖くて、少し勇気がいるようになったのだ。

今年もなかなか行く機会も勇気も無いまま、さすがにもう散ってしまいそうなので、ひとりで代々木公園に行ってきた。平日ともあって人は少ないかな、と思ったけどそんなこともなかった。普通に酒盛りしてる人、カップルで寝転んでる人、民族楽器を叩く人、大勢で記念写真を撮ってる大学のサークルらしきグループ、仲良しそうな年配女性3人組…いつもの光景だ。あまりに幸せすぎて、世界が抱えた問題など全て忘れてしまいそうになる。ふと、枝についた桜の花に目をやってみる…やはりだめだ… 言葉では整理のつかない色々なものが一気に駆け巡って、溢れるものをこらえるのが精一杯… 敢えて説明すれば、「あのときはああいう気持ちで見上げてたっけなぁ」とかそういうことだと思うんだけど、それが年をとるごとに数が増えてくんだからたまらない。そして自分の場合、桜花(おうか)の特攻隊員(今でいえば自爆兵士よ)はどんな気持ちで見上げたんだろうなぁ?とか、世界中の人はどんな気持ちで見上げてるんだろうなぁ?とか時代も場所もあっちこち飛び回るのでもう収集がつかない…。

そんなわけで、なるべく花びらを見ないように歩いていたが、これでは何しに花見に来たのか分からない。斜陽を受けて色や姿を変える噴水でリフレッシュしながら、もう一度集まってる人達の表情を観察する。みんないい笑顔をしている。不思議なものだ。ここは代々木だから若者や外国人が多いが、これが上野公園ともなれば、普段なら絶対に縁のないようなオッチャンとかも楽しく盛り上がってるはず。これだけ大勢の違う人種が、ひとつのものに興じている。こればっかりはどんなアートもかなわない。

彼らの優しい笑顔が、ずっと続いてくれればいいなと思う。日本は、こんなにも幸せな光景を手に入れるのに、いったいどれぐらいかかったんだろう?これからもずっと続いて欲しい。一方で、この幸せを日本人だけがひとり占めにしてていいのかな?とも思う。この幸せを拡げて行こうとすればそれはずっと続いていくし、「このままでいいや」と思ったら、続いていかない気がしてしまうのです。

 

“12年前の自分に” への2件のフィードバック

  1. あたりまえと思っていることも、あたりまえではなくなってきてしまう日が、いつかやってくるのかもしれないですね。

  2. ずっとブログを開いてなかったので、発見が遅れて大変申し訳ありませんm(_ _)m
    そうですね。。私は宮城で育ったので、当たり前に食べれた山菜が、今は汚染によって中々食べれない。。そんな日が来るとは、よもや思いませんでした。。 これからも、何が起きるか分かりませんね…

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